唐招提寺

唐の国から来朝した鑑真和上の招提(み仏のもとに修行する人たちの場という意味)を寺名として揚げる。
開山唐僧鑑真和上(過海大師)聖武天皇の寵招に応え、授戒の師として来朝する事になったが、七五四年  
「天平勝宝六年」東大寺に到着するまで十二年間、前後五回に及ぶ難航海に失敗したにも拘らず、    
初志を曲げず、奈良の都に着いた時は両目を失明していたほどである。かくて大仏殿の前に戒壇を設け、 
聖武、考謙両帝をはじめ、多くの高僧たちに授戒した。仏教史のみならず、天平文化に及ぼした影響は、 
測り知れざるものが有る。まことに日本の大功労者であった。                    

















南大門内側

金堂は寺観復興事業として修復工事中

大寺のまろき柱の月かげを

土に踏みつつものをこそ思へ

講堂正面

大棟を飾る風雪千二百年の鴟尾の簡潔な美しさ。

講 堂

この建物は和上の創立に際して特に宮廷から平城宮の東朝集殿を賜って移築したものである、
幸いに一棟ここに移築された事により平城宮なきあとも当時の宮殿の片鱗をうかがうことが出来る。